Friday, January 23, 2009

私のターニングポイント第36回 中田ヤスタカ(capsule)「ファーストアルバムで失敗して、周りを気にせず自分の勘で作るように」

私のターニングポイント第36回 中田ヤスタカ(capsule)「ファーストアルバムで失敗して、周りを気にせず自分の勘で作るように」

私のターニングポイント第36回 中田ヤスタカ(capsule)「ファーストアルバムで失敗して、周りを気にせず自分の勘で作るように」
 今、気になるあの人の、人生や音楽活動に影響を与えた出来事や出会いとは? 注目のアーティストが自らのターニングポイントを語る連載企画「私のターニングポイント」。第36回は、11月19日にニューアルバム『MORE!MORE!MORE!』をリリースするcapsuleの首謀者、中田ヤスタカさんが登場です!

「テストの平均点を10点上げて機材を買う許可を得た」
 今や飛ぶ鳥を落とす勢いのPerfumeを始め、鈴木亜美MEGSMAPなど、多くのアーティストのプロデューサーとしても引っ張りだこの中田ヤスタカ。彼の音楽人生の転機はいつのことだったのだろうか。

「やっ ぱりピアノから、コンピュータミュージックに切り替えたときのような気がする。本格的にのめり込んだのはそこからですね。それまでもピアノだけで曲は作っ ていたんですけど、もっといろんな音を出したくなって、とにかくシンセサイザーだ、と思って。中学1年生のときにテストの平均点が10点上がったら自分の 貯金使っていいよ、みたいな。子どものときは自分のお金使うのにも親の許可がいるじゃないですか(笑)。で、勉強がんばって、機材を買って打ち込みを始め たんです」

 当時中学1年生のヤスタカ少年。シンセサイザーを手にしてからは、学校の授業も上の空。生活は音楽一色になったと語る。

「ノ リとしては部活でサッカーにハマってるのと近かったと思います。“インターハイ目指そう”っていうのと同じで、毎日家に帰ったら音楽を作る。おなか空いて てもやって、寝るぎりぎりまでやって、みたいな。それをやったからどうなるっていうんじゃなくて、単純に自分が楽しいからやってたんですよね。それにお年 玉ためてたのを全額投入してるし、これで使いこなせないとか絶対ありえない。元を取りたいっていう気持ちもありました(笑)。家族の目は冷たかったです よ。“お前、そんなことばっかりやっててテストの点数下がったら庭にこれ捨てるぞ!!”みたいな。僕の部屋に置いてあると勉強しなくなるから、シンセサイ ザーは仏壇がある部屋に移動させられて。だから最終的には親が寝た後、夜11時過ぎくらいからヘッドホンして、座敷のちゃぶ台みたいなものの上にシンセサ イザーを置いて、そこで夜な夜な電源を入れて。で、冬とかでも暖房をつけると親にばれるから、コート着て、でも寒くて手が動かないからぜんぜん弾けないん ですよ。それでもやってた。すごいなと思います、あの根性(笑)」

「プロになれないわけがないと思っていた」
 現在も自身のスタジオで朝から晩まで音楽にどっぷりつかり、その多作ぶりで知られる中田ヤスタカ。彼のそんな創作スタイルは中学生のときから変わっていない。仕事として音楽制作を行うようになってからも、そのスタンスは地続きのようだ。

「そ うですね、仕事を始めたこと自体はターニングポイントじゃないんですよ。あの、僕はプロになれないわけがないと思っていたので、要はその後、どういう音楽 をやるかっていうところが大事で。でも、最初は実は1回失敗してるんです。それまではデザインのコンセプトも自分で考えてたし、いろんなことをトータルで やってたんだけど、メジャーデビューのときにはプロっぽく分担してやってみようと思って、全部他のスタッフに任せたんですよね。そしたらそれがぜんぜんう まくいかなかったんです。ファーストアルバムはぜんぜん売れなくて(笑)。それでセカンドアルバムからは、ダメもとで以前のやり方に戻しました。ファース トのころは、メジャーっぽい、プロっぽいことをやってやろうみたいな感じで、スタッフや周りの大人が喜ぶ音楽を作ろうとしてた。僕が作っている音楽なのに 僕自身がそんなに楽しんでなかったんですね。セカンドからはそういうのぶっ飛ばしてスタッフが不安になっても、聴く人がかっこいいと思えばいい。そういう スタンスに変えたんです。だからたぶんそれが本当のターニングポイントだったかもしれない。自分の勘でやるっていうか、曲にうそをつかないようにしようと 思って。今でも作っている音楽のスタイルは変わり続けてるけど、でも根本的に変わったのは、たぶんそのときなんです」


(インタビュー・文 / 大山卓也)

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